NPO法人 珠洲デカ曳山保存会の趣旨
往時は砂浜を曳き廻されていたデカ曳山(デカヤマ)ですが、時代の流れによって能登最大級の曳山は姿を消しました。
このままでは、古き良き伝統が風化してしまうと、往時を知る有志が近年発見されたコマ(曳山のタイヤ部分)を元に、デカ曳山を復活致しました。地域の結束の源ともなる祭りです。
参加型の祭りで多くの人にこの曳山を曳いて頂き、古き良き伝統を楽しみながら、交流人口の拡大へともつながる祭りです。文化伝統の継続と新しい能登への観光資源の創造を想い、NPO法人を設立いたしました。
珠洲デカ曳山祭りとは
毎年10月第2日曜日平成28年(2016年)から7月最終日曜に変更
祭りの宝庫と言われる能登半島、特にキリコ祭りが一般的な奥能登一帯の祭りです。
その中でも、「曳山」は山車上で地域の児童が演じる「キャーラゲ」という万葉集の歌と舞、若い女性がお正月に着飾る晴れ着を装う通例や祭りごっつおという御膳料理でお客様をもてなす「よばれ」で親戚・友人との友好を深める行事など、文化と共に異彩を放つ祭礼です。
地域の結束の源ともなる祭りです。参加型の祭りで多くの人に参加し、祭りを楽しんで頂けるまつりです。
沿革 -往時のデカ曳山-
昭和30年頃 | デカ曳山(デカヤマ)を海岸沿いの砂浜を見附島⇔宗玄の間を曳き廻していました。 「南黒丸」「中鵜島」「宗玄」の部落ごとにデカ曳山がありました。 |
昭和33年頃 | 時と共に砂浜が浸食され、護岸堤防を作ったことにより曳き廻す砂浜の距離が限られ、曳き廻す事がなくなり、1/2サイズ程度(高さ約7~8m)の曳山を制作。道路を曳き廻すようになります。 |
平成20年 | 旧黒丸地にて、往時のコマ(車輪)が発見。コマと往時の写真から計算し、当時のデカ曳山を再現。「珠洲デカ曳山まつり」イベントの記念すべき第一回となりました。 |
平成20年(2008年) | 忠臣蔵討ち入りの段 |
平成21年(2009年) | 龍馬伝(寺田屋事件) |
平成22年(2010年) | 本能寺の変 |
平成23年(2011年) | 平家と源氏の戦 鵯越の逆落とし・屋島の戦い |
往時のデカ曳山 photo